〜技術開発と競争〜

イントロダクション 

part1  part2 
学習目的
企業が苦況に陥ったとき、その苦境をどう乗り切るか?コストの削減も重要であるが、あえて新しい製品を開発し、活路を切り開かなくては縮小均衡になる。「陽はまた昇る」は赤字の日本ビクターのビデオ事業部が事業部長の強力なリーダーシップの下で家庭用ビデオテープレコーダーを開発し、先行したソニーのベータマックスに勝利を収めた実話を基に製作された映画である。
ドラマの背景
(1)日本ビクターの歴史

 日本ビクターは1927年に設立され、レコード会社として発展していった。その後、音響機器の事業にも多角化した。1953年には経営不振から松下電器の出資を受け入れ、松下電器グループの一員になった。日本ビクターは音響機器を中心に好調な販売を示し、業績を回復させていった。1961年に現在のVTRの原型とも言える放送局用VTRを販売した。優れた技術を使った新規格のVTRであったが、米国の放送局の主流であったアンペックス社のVTRと互換性がなかったため、失敗に終わった。しかし、これを契機に家庭用VTRの市場に対して、注目するようになった。家庭用VTRは小型化が必要で、その結果、家庭用VTRの開発コストが経営の負担になっていった。
 1969年代の高度成長期、日本ビクターは音響製品、カラーテレビ、レコードを3本柱にしていた。しかし、日本ビクターは音響とテレビというハードの製品機器を製造する部門の生産性が低く、赤字を出し、レコード事業というヒット曲に依存するソフトの事業部門が黒字で成り立っていた。親会社である松下電器からレコーと事業部を別会社化し、音響部門とテレビ部門の生産性改善、事業部制の徹底のリストラを断行した。
 1970年、新しい収益源を育成するため、日本ビクターはビデオ事業部を新設した。その事業部長には高野鎮男(後にVTRの神様と呼ばれる)が選ばれた。家電各社は家庭用VTRの開発には苦しんでおり、日本ビクターにとってもそれは変わりなく、次世代の収益源を得るためには困難が予想された。

(2)日本ビクターの事業部制経営

日本ビクターの事業部は松下電器を参考にして導入された、独立採算の、製品別事業単位である。ビデオ事業部は製造部門である工場、営業部門、それらを支援する経理、総務部門を持つ。独立採算ゆえに、事業部ごとに黒字を求められ、新製品の開発費はその利益から捻出しなくてはならない。

(3)映画のキャスト

?★加賀屋ビデオ事業部長=西田敏行
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★大久保ビデオ事業部次長=渡辺謙
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★金沢日本ビクター副社長=石橋蓮司
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★渡会信一日本ビクター専務=津嘉山正種
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★寺山ソニー社長=江守徹
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★平井ビデオ開発課長=中村育二
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★新田ビデオ開発課員=蟹江一平
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★武田日本ビクター社長=夏八木勲
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★松下幸之助=仲代達也